熊本へ向かった災害救助犬について、SNSで「靴を履かせていない」「犬を使役するなんてかわいそう」という声を見かけた。
犬の安全を心配する気持ちは分かる。
でも、災害救助犬について十分な知識がないまま、外から見た一場面だけを切り取って「かわいそう」と批判するのは、少し違うのではないだろうか。
たとえば「なぜ靴を履かせないのか」。
人間からすれば、瓦礫の上を歩くのだから、靴を履かせたほうが安全に思える。
けれど、犬にとって足裏から得られる感覚は重要だ。
地面の凹凸や状態、足を置いたときの感触など、四肢から得られる情報を使って犬は自分の身体を動かしている。
だから、靴を履かせれば単純に「犬のためになる」という話ではない。
そして、犬自身が災害救助犬として活動することをどう感じているのか。
それは、犬に聞いてみなければ分からない。
怖いのか、楽しいのか。
ハンドラーと一緒に活動することをどう感じているのか。
「犬自身の気持ちは?」と言われれば、正直、私たちには何も言えない。
だからこそ、外側の人間が「この犬はかわいそうだ」と簡単に決めつけることにも違和感がある。
実際に犬とペアを組んで被災地へ向かうハンドラーだって、きっと葛藤があると思う。
自分の犬を危険な場所へ連れていく。
無理をさせたくない。
怖い思いをさせたくない。
安全に帰してあげたい。
それでも、その犬の能力が誰かの命を救えるかもしれない。
「この子を行かせて大丈夫なのか」
「この子に負担をかけていないだろうか」
「それでも、この子の力が必要なのではないか」
そんな思いを抱えながら、犬とともに現場へ向かっているのではないだろうか。
私は、自分の犬を災害救助犬にするのは正直嫌だ。
だからこそ、自分の犬とペアを組んで訓練を積み、災害が起きれば被災地へ向かう人たちは本当にすごいと思う。
「犬を使役するな」と簡単に言う人には、一度考えてほしい。
もし自分が被災して、大切な人が瓦礫の下に取り残されたら?
そのとき、犬の力によって大切な人が見つかる可能性があるとしたら?
「犬を使役するのはかわいそうだから、災害救助犬は活動しないでください」と言えるだろうか。
犬を心配するなら、まず知ってほしい。
なぜ靴を履かせないのか。
なぜその訓練をするのか。
なぜその犬が災害現場へ行くのか。
ハンドラーがどんな思いで犬と向き合っているのか。
知らないことについて、想像だけで「かわいそう」と決めつけるのは簡単。
でも、本当に犬のことを考えるなら、まず犬のことを知ることから始めてほしい。
災害救助犬は、ただ「人間に働かされている犬」ではない。
人間と犬が、それぞれの能力を生かして、一つの目的に向かうチームだと思う。
私は、自分の犬にはその役割を背負わせたくない。
だからこそ、その役割を自分の犬とともに背負う人たちを尊敬する。
そして、もし自分が被災したとき。
大切な人が瓦礫の下に取り残されたとき。
その人を見つけてくれる可能性のある犬と、その犬とともに現場へ向かってくれる人がいることを、私はありがたいと思う。
「かわいそう」と言う前に。
その犬と人間が、何を背負って被災地へ向かっているのか。
一度、考えてみてほしい。


