犬が楽しければそれでいい」の違和感

「犬が楽しければそれでいい」の違和感

訓練競技会の話になると、よく
「順位ばかり追いかけちゃだめだよね」
「犬が楽しんでやってるならそれでいいよね」
という言葉を聞く。

もちろん、それ自体は間違いではないと思う。
犬が前向きに動いている方がいい。これは当然の話だ。

でも私は時々、その言葉に少し違和感を覚える。

なぜなら、競技会で行う科目は“ただの芸”ではないからだ。

お座り、伏せ、待て、脚側行進。
それらは本来、日常生活の安全や信頼関係につながる行動でもある。

例えば、
興奮した時に座れる犬。
飼主の指示を一度聞いて考えられる犬。
他犬や刺激の中でも落ち着いて待てる犬。

それは単なる競技技術ではなく、社会の中で犬が生きていくための土台でもある。

だから私は、「楽しいからやる」という考えだけでは少し足りないと思っている。

“楽しいかどうか”だけを基準にすると、犬に必要な我慢やコントロールまで大袈裟な考えかもしれないが、否定されてしまうことがある。

現実の生活では、
犬は毎回「楽しい!」と思いながら指示を聞くわけではない。

病院で待つ時。
道路で止まる時。
興奮を抑えなければいけない時。

そういう場面でも、犬には人の指示を受け入れる力が必要になる。

私は、訓練とは
“感情に流されずに行動できる力を育てること”
だと思っている。

そして競技会は、その積み重ねを確認する場所でもある。

だからこそ、順位だけに執着するのも違うし、
逆に「犬が楽しければ全部OK」と片付けてしまうのも、少し違う気がする。

また、競技会に出ると、
「順位なんて気にしてないよ」
と言いながら、他人の結果に嫉妬したり、嫌味を言ったり、陰でマウントを取り始める飼主もいる。

でも、犬は飼主の自己承認欲求を満たすための道具ではない。

犬は、“自分が周囲より優れていると証明するためのアクセサリー”ではないし、
他人への対抗心をぶつけるための存在でもない。

本来見るべきなのは、
昨日より犬が成長したか。
以前より信頼関係が深まったか。
犬が社会の中で落ち着いて行動できるようになったか。

そこではないだろうか。

競技会は、犬と人が積み重ねてきたものを確認する場であって、
他人を見下したり、自分の価値を証明したりする場所ではない。

大事なのは、
犬が人と共に生きるために必要なことを教えつつ、その過程で信頼関係を築けているかどうか。

私はそこに、訓練の意味があると思っている。